統治としての意味
これらのことから、天候など様々な条件が重なったとしても、筑前や筑後肥前や豊前など九州北部で30日前後要したことになります。
日向や大隅薩摩などは、40日前後は搬送に要したことになります。
これだけを見ても当時は九州北部の交通網が、南九州に比べていかに発達していたかがわかりますよね。
統治国家として道の役割はどうだったのでしょうか。
全国を統治する意味から、朝廷は各国に国府を置き、支配の目を光らせていました。
しかし、九州では南部の大隅や薩摩に国府を置いても、隼人などの朝廷に帰順しない部族がいたのです。
このため朝廷は軍を派遣、制圧して、九州統一を進めていったのです。
この軍のたどった道も、当然今まで述べてきた小路が利用されてきました。
道は中央と地方を結ぶ生活路の役割だけでなく、統治の意味からも重要なものであったのです。
