古代の流刑
古代の流刑の配所とは、いったいどこを指していたのでしょうか。
流刑には遠流、中流、近流の三等がありました。
遠流は都から1500里(この時代の条里制によれば1里=約650m)、中流は同じく560里、近流は300里となっていました。
この規定でいけば、九州は遠流よりさらに遠方の流刑地ということになりますが、実際九州に配流された人物もいるので、ときの政略によって遠流も次第に拡大していったものと考えられます。
古代九州の主な流刑地をあげると、九州本土のほかに、対馬、硫黄島があります
五島や奄美群島がそれに加わったのは、ずっと後の近世以降のこと。
九州に初めて配流されたのは754年のことで、神官多麻呂が大隅に、大神朝臣杜女が日向に流されたと記録に残っています。
九州の流人の道をたどるには、まず官職や僧籍にあった朝廷に近い身分の人を探るのが早道ですね。

これは北斎の画です。