延喜式による九州の主要道
当時の九州の道となると、はっきりしたことはわかっていません。
10世紀初頭に成立した「延喜式」によれば、九州の主要道は次のようになっています。
・大路(大宰府道)
朝廷のあった畿内から山陽道を通り、豊前の北辺をよぎって博多湾近くから大宰府に至る道。
・小路
1.田河路
大宰府から豊前国府へ至る道
2.豊後・日向路
大宰府から豊後国府へ、そしてさらに日向国府へ向かう道。東路ともいう。
3.大隅路
大宰府から筑後、肥後、薩摩国府を経て大隅国府へ至る道。西路ともいう。
4.肥前路
肥前国府を経て島原半島に至る道。
5.壱岐・対馬路
筑前、肥前の海岸を経由して、肥前登望(小友)から壱岐、対馬へ渡る道。
歴史的にみても、国の制度が確立するにしたがって、交通路も政治的または軍事的に整備する必要が生じてきます。
それは、時の政治の中心地と地方の中心地、また地方の中心地と付近の各集落とを結ぷ交通路として、網の目のように発達していきます。
とくに課税の対象となる米や地方の産物を集荷し、中央に輸送することや、全国の統治、対外的な軍事的意味あいからも、交通網の整備は重要な国策でした。
